父方の祖父について 

私に少なからぬ影響を与えた彼が死んで一年経った。幼いころに父親を亡くして親戚の家で育てられた祖父は、高等小学校では優秀だったそうだが、面倒を見てもらっていた家の都合で希望する中学校に進学できず、それを一生の屈託にしてしまった。官公庁関係の仕事を続けながら、家計を省みずに子供をみな大学にやった。勉強しろが孫に対する口癖だったが、祖父が本のようなものに向かっている姿は記憶に無い。
目をかけた人に対しては柔和で面倒見がよかった。いつもあちこちに出かけては人と会っていた。家族には高圧的で、たまに猫なで声を使って機嫌をとるような振りをした。世のため人のためになるようなことをしろ、物事に本気で打ち込んでみろと平然と言っていたが、それで家族に向かって不機嫌や気まぐれを撒き散らす分にはかまわないようだった。自室で寝たり起きたりしている私を、あのままでは何にもならないと言っていた(父に対して大声で話しているのを聞いた)。食生活から体を壊し歩行や運転がうまくできなくなってから、何にもならなかった私が主に車を出して祖父の足になっていたことについては、とくに何とも思っていないようだった。
率直に言えば、私は祖父を愚かだと思っていた。勉強を口癖にするものの、自分の言動を省みず、家族に甘え、他人には立派な顔をした。農家に生まれたにもかかわらず、食べ物も高価な品物も買っては無駄にした。祖父は私に立派な人間になれというようなことを何度となく言ったが、つまりそれは、彼の思うところの大学教諭や医者のような、地位と名誉の塊だった。もしそのようなものになったとして、彼のごとき生活でさえ立派なのだというのなら、そんなものに意味は無いと私は思っていたが、とくに彼にそれを理解させようともしなかった。私は祖父の望みを理解したような気になっていたし、祖父は結局私の望みを理解しないままだった。
葬儀の参列者は多かった。大変世話になったと話す人も何人もいた。遠方から心のこもったお悔やみの手紙が届いた。良い友人のいたことは、彼の人生にとって幸運だったと思う。