ロンドン、自分語りと団体行動

一昨日の爆破事件。分かっちゃいるんですが、まだまだ戦争は終わらないみたいですね。やめて欲しいとは思うんですが、何が出来るか分からないのは9.11から変わってない。特に何もしたくない、勝手にやっててくれ、俺に迷惑かけんなって心情も自分の中に確かにある。
世界に、ひいては日本や近くの人々に自分が出来ることを考えると、俺のような消極的な人間にはすぐに諦めが浮かんできます。自分の行動に対する自信のなさ、そもそも行動することのの面倒くささ。行動を起こすってことは他人に働きかけることで、それは軋轢とかしがらみをどうしても連れてくる。
前にも書いたような、「Web上で見ず知らずの人と特定の名前で話をすることに興味がなく、現実でも友達や赤の他人に自分の方から何かすることは少ない」ような状態は、そういうゴタゴタしたことを嫌がってる気持ちから来てるわけで。(ここ、興味がないってのは言い過ぎました。無性にコンタクトを取りたくなることもある、そういうときも面倒な事を想像してやめることが多いってのが正しい。)
どうも人と付き合ってきた中で、プラス面よりマイナス面に目を向けて来てたことがこういう性格の元なのかな、と。楽しいこともいろいろあったのに。なんか運動してる人は、プラス面のほうを信じる下地が強固なのだろう。集団行動に対する信頼が強い人ほど、かかわっていく政治の範囲が広くなってくんじゃないか? 
……ここまで書いたけど、友人関係の面倒と政治関係の面倒を一緒にすんのはそもそも暴論くさいなあ。政治への関わりは、信じてる教条や権力志向も関係してるだろうし。
……話がまとまってない。戦争についても、これからの生活についても、大体こんなことを考えながら逡巡してるのが現状っす。まあそれでもパブリックでこんなこと書いてんのは、やっぱり赤の他人と交流すんのを諦めてないからなんだろうけど。