はてなハイクのログから引き揚げ

私は大学生になってしばらくの頃から難しい小説があまり読めなくなって、今はweb小説やマンガを娯楽として読むくらいで、それさえ積んでおくことも多いのだけれど、自分自身でもわりとこれにはわだかまりがある。しかし、自分にとって読書というのは読みたいから読むものであったので、読む気の出ないものを無理に読むこともしたくないのでそのままになっている。

なぜ文学(語弊はあるけれどこの言葉を使う)に向かっていけなくなったのか自分で考えると、私にとっての文学といったものは、倫理や人生かなんかの答えのようなものを期待して読んでいたようなフシがあって、そこで二十代半ばで価値観がだいたい固定された(思い返すとそのころから前には今の基準とそこそこの差があるようである)から、あえて知らない本に向かっていく意欲が減退したような気がする。あるいは逆に、体力や欲のピークがそこで、新しいものを取り入れなくなったので、意見が固定されたのか。なんとも人間の程度が低くはあるが。

ともあれ、私が読書に求めていたものとは違って、世の読書子は物語や文章の綾そのものを楽しんでいるから長く読み続けられるのかもしれないなどと、週に数冊の文庫本を読んでいる私の母を見ていて思う。