日記を書ける余裕があれば

id:y_arimさんの「リソース」という言葉に刺激された。絡む。

1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。
「ちょっと」を毎日。
バイオリズムに逆らわない。
気持ちよく過ごせないのは周りじゃなくて自分が原因です。
1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば、きっと強くなれる。
人とのつながりを大事にする。
何かのせいにしない。
前に進んでいないようでも。
結局、カッコいい人にはなれなかったなぁ。

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080109

貧困者の共通点「溜(た)めがない」=貧困

金銭の「溜め」 しばらくは生活に困らないだけの貯金がある
人間関係の「溜め」 困ったときに頼れる親や親戚、友人がいる
精神の「溜め」 難しい局面に立たされても自分には問題を解決する力があると思う

これらの「溜め」がない人が貧困者。貯蓄がないからじっくり仕事を選ぶことができず、頼れる人もおらず、精神的に追い詰められて、頑張る気力がそぎ落とされて、「おまえは社会からいらないんだ」というメッセージを受け取ってしまっている。
お金がないけど頑張れるんだという人は、別の溜めを持っている人が言えることで、気力のなくなった人に「がんばれ」と言っても実効性がない。意味がない。「がんばれ」と言ってがんばれるんだったら貧困問題はここまで深刻にならない。

http://d.hatena.ne.jp/yodaka/20071226

自分の人生は自分でなんとかしろ。一見間違いではないが、しかし自分でなんとかできるのはそれに足るリソースを確保できているひとだけではないのか? 

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080112

ここでの「溜め」と「リソース」はほぼ同一のことを言っていると考えていいだろう。
id:guri_2さんにはリソースがまだある。感謝したり出来るということは精神面のリソースがあるということだ。勝手に想像するならば、id:guri_2さんにはよい友人か家族がいるのだろう。
だが赤木智弘さんにもリソースはある。丸山眞男や形だけの左翼をひっぱたきたい、世の中が変らなければ戦争まで望むという強い怒りは、精神面のリソースがなければ出てこない。それを支えているのは、同じくなんらかのリソースである知識と洞察だろう。それが怒りに繋がっている。そしてそれは教育と呼ばれている。赤木さんは確かに教育を受けたのだ。誰かから。あるいは自分自身から。
水谷修か誰かが、「もうだめだと思ったときには外に出て、美しいものを見て、それに感謝しなさいと教えている。そしてそれをやってみる人間は大丈夫だし、それに反発してバカらしいと怒りだす人間も大丈夫だが、反応をあまり返さず『それも無理です』と沈んでいる人間は本当に消耗し尽くされてしまっている。」というようなことを言っていた気がする。
ネット上で何か書いているだけで、それはリソースを使い果たしていない人間だということの証明なのだろうと思う。


このエントリで一番書きたかったのは次の引用だ。初見は大学の授業だった。横書きで見やすいように改行、校正する。

副田さんは、小中学校を通じていじめに遭っていた。
いじめは高校では止んだが「ずっとそれ(いじめ)を引きずっていた」と言う彼に友人はできなかった。家に帰れば両親が常に喧嘩していた(その後離婚)。彼は2年生のときに高校を中退する。
その後一人暮らしを始め、自動車整備の専門学校に通うが、これも3年夏に中退(教育課程からの排除)。
このころから拒食症を発症する。生活費を稼ぎ出していたアルバイトも辞め、「あとは死ぬだけ」と考えていた。再婚後、仕送りだけの関係になっていた父親からは連絡もこなかったし、彼から相談することもなかった。しかし通常55キログラムある体重が35キログラムまで減ったところで自分で救急車を呼び、入院。一命を取り留める。
短期間の療養後働き始めるが、仕事はほとんどアルバイトだった(労働福祉からの排除)。主にパン屋で働いた。東京で遊びたくて、新宿でコンピニやスーパー店員、ラプホテルの清掃やキャバクラの店員をした。「このときが一番友人がいた」「お金がないときでも食事をおごってもらえたりした」と言う。
遊びすぎて100万円の借金を作り、父親に肩代わりしてもらう。このとき実家に戻るが、「自分も嫌だったし、義母も嫌そうだった」と言う彼は、千葉市内で再び一人暮らしを始めた。
安定しないながらも何とかなっていた生活が崩れ出すのは、約1年半前、JR東日本子会社の車両清掃のアルバイトを辞めた頃からだった。同僚たちにいじめられて辞めたが、それ以後は就職活動を何者かに妨害されていると感じ始めた。千葉では働けないと感じた彼は、派遣登録して神奈川県の自動車組立工場で働くようになるが、1年は続かなかった。
今年5月から家賃が払えなくなる。6月、7月と同じく派遣労働をするが、いずれも3-4日で辞職。8月にはついに父親を頼って2万円の援助を受けるが、それ以上は無理だった(家族福祉からの排除〉。家財道具を売って食いつなぐものの、9月になってついに食べられなくなり、冒頭紹介したように福祉事務所に行くが、生活保護の相談はしてもらえなかった(公的福祉からの排除)。
どうして学校でも職場でも福祉事務所でもいじめられてしまうのかという問に、彼は「もとがそうだからかな? 言われやすいとか、子供のときからそうだったから……」と答えた。自己評価が低く、自分が尊重されないことに慣らされている。外部に居場所を見出せないことの結果として、自分にも自存できなくなっている(自分自身からの排除)。
こうした経緯を聞くとき、多くの人はそれを「排除」と名づけることに違和感をもつだろう。副田さんは、高校を中退させられたわけでもなければ、最近の派遣労働でも理不尽なクピ切りに遭ったわけではない。これは「排除」ではなく、自ら辞めているのであり、その後始末として生活が困窮するのは当たり前ではないか、と。これが「自己責任論」であり、実際彼自身もそのように感じていた(殆どの生活困窮者が自己責任論を内面化している)。

http://www.moyai.net/pdf/200612-sekai.pdf


補足。太字は俺による。

親に頼ればいいんじゃないの?
 親に頼ればいいと言われても、母子家庭が多いし、親がホームレスという場合もあります。私は19歳から児童養護施設の学習指導ボランティアをやっていましたが、普通高校に入るのは5年に1人しかいませんでした。(筆者注:児童養護施設の子どもたちは親には頼れず、家庭で育った子どもに比べ非常に未熟なまま中卒・高卒で働き始め、仕事を転々とし、住む場所もなくなり、行方知れずになってしまう場合が少なくない)。
 「ネットカフェ難民」で親に相談できると答えたのはたった2.7%で、42.2%は相談できる人がいないと言っています。貧困は将来の不安として語られていますが、現在実際に起こっていることで、貧困の連鎖が大きな問題です。現在生活保護を受けている人の親は4人に1人は生保を受けており、母子世帯ではその割合は4割に上ります。
 「もっと勉強しておけばよかった」「資格を取っておけばよかった」と言われるかもしれませんが、彼らの学歴は中卒が2割で高卒以下が8割を占めます。現在、日本全体では97%か98%は高校に行っています。残りの2%に不利益が集中しているのです。「働いていれば食っていける」「親がいるなら頼れるはずだ」という2つの神話は今の社会では崩れてきています。
貧困者を襲う5つの排除とボロボロのセーフティネット
 どういう人が貧困まで行ってしまうのでしょうか。貧困者は5つの排除にさらされます。教育、企業福祉、家族福祉、公的福祉、自暴自棄になってしまった自分自身です。日本の戦後を何が支えたのかというと、企業と家族です。公的福祉がまともに機能したことはありません。企業は終身雇用で、住宅問題にしても会社の寮からアパートへ、一軒家へと企業の保障があったので、政府の住宅政策の貧困さが表に出てくることはありませんでした。家族福祉の一例でいえば、結婚前は父の収入で、結婚後は夫の収入で暮らす女性が多くいたのです。今は若い人たちがポッと社会に出て、企業や家族が守ってくれないのですから貧困になるのは当然です。若い人たちは生保を受ける方法も知らないし、サラ金についても教わっていない、丸裸で隙だらけです。そうならない人が多いから貧困は自己責任みたいに思われていますが、彼らは貧困になって当然です。
 日本にはセーフティネットが3層ありますが、みんなボロボロです。まず、失業手当ですが、以前は80%の人が受けていましたが、今では二十数%に落ちています。国民健康保険は保険料を滞納し、資格証になって10割負担です。35万人が医療を受ける機会を奪われ、29人が死亡しています。最後の生活保護ですが、行っても追い返されるのです。これを「滑り台社会」と呼んでいます。一度転んだら最後、底まで行ってしまうのです。第4のセーフティネットが刑務所です。法務総合研究所の調査では、65歳以上の約7割がお金に困って再犯し、刑務所に戻っています。神社の賽銭箱から150円盗った人もいます。法務総合研究所は「再犯の背景は経済的に不安定なことなど。司法の枠を超えた対策が必要だ」と指摘しています。

http://www.news.janjan.jp/culture/0711/0711226058/1.php


以下のURLを参考にした。
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080109
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080110
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080112
http://d.hatena.ne.jp/shibata616/20080110
http://d.hatena.ne.jp/shibata616/20080111
http://d.hatena.ne.jp/shibata616/20080112
http://news.livedoor.com/article/detail/3449968/
http://d.hatena.ne.jp/yodaka/20071226/1198638153
http://www.news.janjan.jp/culture/0711/0711226058/1.php
http://www.moyai.net/pdf/200612-sekai.pdf
http://www.nanzan-u.ac.jp/ISE/japanese/database/discourse/2006yuasa.html




追記

”All alive are fitting.” 「生きてりゃ適者です。」

http://d.hatena.ne.jp/sivad/