夢とか目標とか

夢とか目標とかを持って苦闘してる人を見て、やっぱりなるべき自分と今の自分に落差があるから苦しいんだろうなあと他人事のように考えてしまったりするのだけれど、こういう目線は当の私がもし苦戦中だとしたらわりと頭にくることだろう。
考えるに、夢や目標は無限の選択肢のなかから選ぶものではなくて、有限の過去の人生の経験や環境から湧き上がってきたり湧き上がらせたりするもので、それは完全に自分の思った通りに選べるものではないから、このような傍観は頭にくるのではないだろうか。確かに選んでやっているけれど、ただ楽しいからというだけではなく、そこに自身自身に対する使命や命題のようなものまで加えられていくのが夢や目標というものなのかもしれない。
あるいは、あらゆるものに対しての向上心と諦めの秤のうちで、どうしても釣り合いが取れないものが夢や目標ならば、やはりそこには意志ではどうにもならないものがあるから冷めた傍観はうっとおしいのかもしれない。
翻って私はといえば、小さいころからの天邪鬼と自意識過剰のせいで、世の中に溢れる夢や目標、そしてそれに付随してくる幸福や不幸の逸話を聞くに、夢や幸福とは何なのか、生きてから死ぬまでにいったい何が必要で何が必要でないのかを知りたいと思ったし、それを知ることが逆説的な目標になっているようではある。
漠然としすぎているので特にこれといった方策もないし、生きて見て考えてさえいればそれが方策であると思うこともできるが、安逸を貪っているといえばそれまでで、もう少し哲学や思想を体系的に学んでみても罰は当たるまい。