半年、あるいは十年経って

偶然震災と利害関係がないからか報道を避けてたからかわからないが、日常に対する考え方も、電力会社や国に対する心証もとくに変わりはない。根拠はないがまあ大丈夫だろう、と思っていたのが、やっぱりだめだった、というだけで。最近の九電のやらせメールとか公開討論会でのサクラとかの報道を見ていると、思った以上にだめかもしれないという気分にはなるけれど。
危険なものを扱っているのはわかっていたのに、自分と離れたことだからといって安全を検証する興味も執念も持ち合わせていなかったのだから、騙されたとか裏切られたというのはおこがましいだろう。もちろん過去や現在の無関心を、罹災した人から誹られて当然ではある。
今回の震災であまりテレビ報道などを見なかったのは、十年前の同時多発テロのときの影響が少なからずあったと思う。あのときビルが崩れていく映像に私はとても興奮させられたからだ。大規模な破壊の光景のなかに、瓦礫の下に潰れていく何千人のことを考えるのは難しかった。どんな災害でも娯楽にしてしまえるのかもしれないとあとから気がついたので、それから自分から災害報道を追いかけることはあまりしなくなったのだろう。