鮎川信夫『死んだ男』と昔のこと

鮎川信夫の『死んだ男』という詩をたぶん国語の教科書で初めて読んだとき、なんだか気取った言葉遣いだと思って、「埋葬の日は、‥‥」から始まる最後の部分と、特によくわかるような気がした終わりの二行以外はあまり感想も持たずに忘れてしまった。最近偶然にまた読んだら、再読であることと、全体をわりと受け止められるようになっているのに気がついた。
たとえどんな昔でも昔が懐かしくなることはありえると、想像できるだけの時間が過ぎたからかもしれない。嫌になるようなことばかり積み重ねるのが嫌になって、漫然とあっちからこっちへ流すような密度の低さだったけれど、それでも過ぎた時間の容量そのものが自分の感じ方を変えているように思う。もちろんそんな時間を過ごせたのも、運が良かったせいだといえばそういうことでしかない。今はもうここにいない人は、昔というときに取り残されて、今の私たちに思い出されるだけなのだから。
それは高校生の私にもほんの少しはわかっていたので、終わりの二行の、「Mよ、地下に眠るMよ、/きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。」*1という語句をぼんやりとでも覚えていられたのかもしれない。

*1:余談だが、はてなでおなじみのにゃーにゃー言う人、id:tikani_nemuru_MさんのIDの由来が今になってやっとわかった。